プロフィール

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弁護士 田中 史子
(たなか ふみこ)

離婚相談ができる大阪の弁護士 田中史子 拡大・縮小

1965年~幼少期

私は、1965年に岡山県吉備郡真備町に生まれました。一つ下の弟と、両親、祖父母、曾祖母の7人家族でした。
運動が苦手で、一人で本を読むのが大好きな子どもで、小学生の頃には、江戸川乱歩の少年探偵団シリーズや怪盗ルパンシリーズを夢中になって読んでいました。小学校高学年の頃、女性が裁判官として活躍する内容の本(シェイクスピアの「ベニスの商人」を子供向けにしたもの)を友達の家で読ませてもらい、法律家という仕事に興味を持つようになりました。

幼少期 母と一緒に

幼少期 母と一緒に

1977年~金光学園時代

中学入学時 中学入学時

中高一貫制の金光学園に入学し、コーラス部を6年間続けました。中学時代はまじめに勉強をしていましたが、高校生になると理数系の科目についていけなくなり、一気に成績が下がりました。それでもあまり気にせず、毎日、本ばかり読んでいました。当時、作家の吉行淳之介さんに憧れ、自分も小説家になりたいと思っていました。また、江戸川乱歩、横溝正史の小説が大好きで、今でも繰り返し読んでいます。私の岡山の実家から近いところに横溝正史が疎開していた家があります。
映画も好きで、一人で映画館によく通っていました。高3の時の音楽選択者の発表会では、ピアノでリストの「ラ・カンパネラ」の演奏に挑戦し、毎日、出来る限りの時間をピアノの練習にあてていました。

このような高校生活を送っていたため、受験勉強はほとんどしておらず、一浪することになりました。一浪後の岡山大学の入試問題では、国語の論述で吉行淳之介さんの文章が出題され、大感激しながら回答を作成し、なんとか岡山大学法学部に入学しました。

1983年~岡山大学時代

大学1年生の時には、水泳部に入りました。もともと運動は大の苦手で、大学でも音楽系サークルに入るつもりでした。しかし、たまたま友人に付き添って見学に行った水泳部での激しい練習風景を見て、突然入部することを決めました。毎日ひたすら泳ぎ、ご飯をたくさん食べて寝る、という生活で、タイムは遅かったですが、何度かレースにも出してもらいました。

大学2年生になってからは、水泳部をやめ、政治研究会に所属しました。また、大学生協設立運動に熱心に参加するようになりました。大学の先生方で作られている設立準備会と、学生の準備会が協力し、大学全体に生協設立の声を広めていく活動は、非常に貴重な経験となりました。
大学3年生頃からは、司法試験受験を意識するようになりました。大学に入って憲法を学んで、日本国憲法の内容の素晴らしさに感動し、憲法に規定されている基本的人権が尊重される社会を実現する仕事をしたいと思うようになっていたのです。そのため、大学4年になっても就職活動はせず、司法試験を目指すことを決意しました。

当時飼っていた猫のミーコと 当時飼っていた猫のミーコと

199X年~司法試験受験時代

中学入学時 司法試験に向けての勉強

大学卒業後数年間は、合格した先輩からのアドバイスを受けながら、図書館の自習室等に通って独学していました。しかし、短答試験は合格するものの、論文試験に毎年落ち続けたため、父親からの勧めにより、大阪の受験予備校に通うことにしました。大阪では、すぐに大勢の受験友達ができ、情報交換しながら勉強し、数年後に論文試験に合格しました。ところがその年、まさかの口述試験不合格となりました。自分が口述試験で落ちるとは考えてもいなかったことで、相当落ち込みましたが、この頃、母親からもらった手紙には、「あなたは運がいいので、大丈夫。」というようなことが書いてありました。翌年、9回目の受験で司法試験に合格し、長年心配をかけた両親に合格証書を渡すことができました。

合格後は、司法修習に入るまでの数ヶ月間を利用し、「バーテンダーズ スクール」に通いました。お酒に関する基本的知識や接客の心得、カクテルの作り方等を学ぶことができ、とても楽しい経験でした。スクール修了時、これからバーの経営を始めるという方から、バーテンダーとして働かないかと誘われ、かなり心が動きましたが、司法修習生はアルバイト禁止のため断念しました。
また、この頃、私の大好きな画家である金子國義先生とフランスの美術館をめぐるツアーに参加しました。旅行中は、金子先生から直接いろいろなお話を聞きながら、多くの美術館をめぐることができ、また、この時期でなければ行けなかった旅行なので、思い切って参加して良かったと思いました。

フランス旅行中の一コマ フランス旅行中の一コマ

1999年~勤務弁護士時代

2年間の司法修習を経た後、1999年4月に大阪弁護士会に登録し、「伊賀興一法律事務所」(現「伊賀総合法律事務所」)に就職しました。ここでは、刑事事件、少年事件、離婚、相続、破産、交通事故、労働事件、会社関係等の様々な分野の案件を経験しました。
特に印象深いのは、阪神・淡路大震災後、被災者に対する自立支援金の支給において、「世帯主要件」が課されたため、被災後、結婚して世帯主でなくなった女性に支援金が支給されなかったことを憲法14条1項の平等原則違反として争った案件です。原告が勇気をもって訴訟をすることで、社会の制度がかわり、差別が是正されていくのだということを実感しました。
また、他の案件においても、依頼者や支援者の方々と共に訴訟をする中で、様々なことを学びました。もちろん、裁判では常に勝訴するわけではなく、全力を尽くしても裁判所には声が届かない悔しい案件もあります。しかし、それであきらめてしまうのではなく、難しい状況の中であっても依頼者にとっての真の解決を目指して最善を尽くす、という弁護士の姿勢を、勤務弁護士時代の4年半において学びました。

勤務弁護士時代 勤務弁護士時代

2003年~独立後、現在まで

伊賀事務所に4年半勤務した後、2003年11月に独立し、大阪地方裁判所に近い大江ビルヂングの2階に「田中史子法律事務所」を開設しました。大江ビルヂングは、大正10年頃に建築された歴史あるビルで、「このような建物で、事務所を開くことができたらよいだろうな。」と思っていたところ、たまたま私の独立のタイミングで空き室があり、入居することができました。事務所の内装については、相談にお越しになった方に、できるだけリラックスしてお話いただけるように、白を基調としたやわらかい雰囲気にしました。
事務所開設後まもなく、経営の勉強のためにと勧められ、中小企業の経営者の会(大阪府中小企業家同友会)に入会しました。ここでは、様々な業種の方と知り合い、経営者の方の経験談やお悩みを聞くことができ、自分の知見も大きく広がりました。
また、独立後は、少し時間ができたため、30代後半からクラッシックバレエを習い始め、何度か発表会にも出ました。
40代になってから、夫と知り合い結婚しました。結婚後は、体育会系の夫の影響で、ランニングや筋トレをするようになりました。大阪マラソンにも2回参加し、2回とも制限時間ぎりぎりでしたが、完走しました。現在も体力維持のため、週2回はスポーツクラブに通っています。

事務所開設当時 事務所開設当時

独立後も、いろいろな分野のご依頼を受けてきましたが、その中でも、特に離婚や、離婚にまつわる様々な問題(財産分与、親権、養育費、面会交流等)についてのご相談やご依頼が多くなりました。離婚や、離婚にまつわる案件においては感情的問題が大きく、金銭解決のみでは割り切れない部分が多くあるということを感じています。また、紛争の渦中にあり、動揺・混乱している状態においては、何が問題となっていて、何を解決すればよいのか、自分は今後どうしたいのか、ということが、ご自身でも分からなくなっていることがあります。さらに、夫婦間には、他人にはなかなか話すことのできないデリケートな問題があり、何度もお話をした後に、やっと本当に悩んでいることを話してもらえることもあります。

こうした様々なご相談、ご依頼を受けてきた経験から、まず、依頼者の方が安心して自分の悩みを話すことができる雰囲気や対応が必要であると考え、そのための事務所づくりを心がけています。

ご依頼が解決した後、
依頼者の方の表情が見違えるように明るくなり、「依頼して本当によかった。」
「これで安心して生活できます。」等と言っていただいたときは、最高にうれしいです。
これからも、お一人お一人のご依頼に丁寧に向き合い、依頼者の方に心から「よかった。」

言っていただけるような仕事をしていきたいと思います。

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